ダムに消えた西神社集落の風景スケッチ

 上の家。 兄と三姉妹の行き先。 黒沢尻。 水沢。 大石田。 エリザベス女王陛下に似て長方形顔の娘さん方であった。 その関わりで、「斉藤茂吉」や「三島由紀夫」の顔が長方形的にイメージされていたのではないか。 地図で山形県秋田県の形を調べてみられたい。 秋田県は「萬田久子」さんのお顔である。 
 鹿児島から長子が上るが、流れが続かず、更に鹿児島から精一が上る。
 中の家。 一千年の上の家の道連れは消滅。 君原ロード人が主に座る。
 以後西の家。 推理であるが、君原ロード即ち清水石材四号線、更には臼井道路工事。 馬に乗ったみたいに、旧道地図上をバイクツーリングすれば、左に確かに片岡仁左衛門の上の家、少し進んで右に白木野の善右衛門。
 計画の通りなら、上の家に里見浩太郎が誕生しているはずだ、という代替わりであろうか。 それとも全くの舶来王子伝説か。 子孫大勢。 鹿児島長子系でもあり、元上の家の血筋を幾分か混じえる。 幸子さんの義父さんも仙台の伯母さんの早坂父さんも同列の展開であったのかもしれない。 この人誰でしょう、という謎かけが寄せられる。 親密で深い間柄であった。 そろって西の家のお祖父さんであったのである。
 ところが西の家においては、この家系のままでは済むことはなかった。 更に別の赤ちゃんが運ばれてしまったのである。 私は簡単にそのルーツをシベリアに求めていたのであるが、草卒な事であった。 遅ればせながらお詫びを申し上げたい。 この頃和歌山県人の大発見があった。 顔の輪郭、眉の形等、この紀の人範疇に相似形を認めることが少なくなかった。 小沢伊知郎氏が、無血縁ながらも、西の家の人に似通って見えてくるのも自然の理であったわけである。 徳永も江川も一団中の人だよ、というので夕方の民放ニュース番組のスタジオ内にわざわざ並び立っていたのではあるまいか。 
 この西神社集落地からスタートした西の家子孫というものは、どの程度の人数規模の実体であろうか。 私より10歳位年上の人よりも前のレベルの話ではない。 最初の世代子孫でも精々50代。 
 西の家は中の家でない。 これを怒り、何だこの顔、警察に行くなら行ってみろ、とナタでコロンした首を玄関に投げ転がした勇ましい人がいたという。 なんとアメリカ合衆国のマフィア文化というものは、この事件を種にして制作されたものだという歴史の推理がある。 牛の首を玄関先に転がす映画のシーンがあった。 俳優の名も監督の名もアル・カポネとかコッポラとかと人体的である。
 新太郎家。 西神社集落から早々と転出。 上の家に美佐子富美子姉妹を残していた。 分家ということで一軒。 中の家同様に全く生まれ変わっている可能性がある。
 下の家。 これは抑々難解であった。 和歌山に一軒、他には日本全土に岩手県に一軒しかない、という兄弟縁で始まった家と考えてよかろうか。 澤内八幡神社下の  「下」。 
 推理小説であるが、死んだはずだよお富さん、生きていたとはおしゃか様でも知らぬ仏のお富さん、(エーエ原野だな) と再会を喜んだということは、本来の 「下の家」 の家族達が滅びてしまったように聞くことがあったからであろう。 実の娘ラインでつながっていた。 「下の家」 子孫の活躍は息が長い。 長い長い股旅 (シベリア原野サババルロード) を終えた者という鑑札が付されている。 股旅者のスタートから始まって日本一長い。 藤田まこと。 橋幸夫。 井上陽水。 司馬遼太郎青龍寺上人。 さだまさし。 上の家次女貞子。 中村敦男。 国会議員。 今回の婿縁組の富右衛門さんは、鹿児島城下士系の人と見受けられる。 息子を「真さん」と名付ける。
 富右衛門さんの鮮やかな海兵姿写真がアメリカに流出していたようである。 この頃、ホーレンソーでスーパーマン変身が現実となりそうだという、実力情報が発信されていた。 なるほど、訪ねてみれば驚天動地にもこの渋滞地に、旧制中学を卒えて地域一帯にその教養を信望され、実際に町議会議員を勤めている者がいる。 ドリームズカムトルーであろうか、合衆国も Maritime の国となって、ミュージカルを一杯歌おうではないか。 盛岡のマリオスとかいうビルの名も、そのセーラー服願望の一端で名付けられたものなのかもしれない。
 ホーレンソーというのでは、未だあまり片輪であるという意味であるから、精一の未現実状態を評した言葉であったに違いない。 「もっと深く」 勤勉で賢そうである、と見直されていたのである。 「あんたその手で何人だました(私までだまされちゃったわよ)」 などと後でからかわれることになる。 このような精一とは別世界にある、この Mari 信心は、頑固な核のようなものになって今日に及んでいるようである。 上の家の孫娘の名がマリであった。 シリーンというのもやはり Maritime の願掛けの延長なのであろう。
 最後に加治屋家。 この家についても遠慮のない顔探偵を突っ込めば、十何人かの子供のうち、長女と長男以外は全員どこからかの貰い子。 顔のバラエティが紛れもない。 日本国中の家庭によくある話である。 嫡男のお嫁さんが、民芸 「ひ色ともえ」 さんのモデルとなった人の娘さんではなかったか。 かりんとうのように可愛かったと、「だんな様」の歌を歌う歌手みたいなお内儀に打ち明ける人がいたという。 この間の演芸会は皆可愛くて民芸品みたいだった。 踊る時の素足と脛の日が照るみたいにまぶしかったこと。 ―もしかして私が阿倍似のそれかしら、と出たのが樫山文江であったという。