細川無罪潔白号、その完走の明白事由

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 美容院でのマッサージ。 
 男女間の擦(こす)れ合い擦(さす)り合い。
 握る物、捏ねる物。

 地下見物。

Signature  Thank you, Adams and cooperators, very very much, Now I understand. Every name and honor should be attributed to you.) 

         平泉中尊寺参道の竹林。


 細川無罪潔白号の再スタートまでには幾たびかの挫折があった。 洞穴を覗くような絶望と拒絶の伝え話の後に、あからさまな矛盾と疑問点が一つ二つと積り重なってきて、とうとう立ち上げられるに至った汽車の進行であり、やがては完走の見通しであった。

 疑惑がはっきりと誹謗である証拠の一つに、三智子氏がなぜ細川氏の犯罪に関心を抱きその誹謗であることの解明に乗り出したのか、その理由たる事実、細川は昭和25年に病没し澤内のお寺にその遺骨が残されているという真実がある。 恐らくは三智子氏はそのお寺を伺い和尚さんに直接聞き確かめたのであろう。
 すると明治神宮参道上の凶行たるものはすべて、いかにもこれ見よがしの犯人擬装瞞着事件であったということになる。 これを神宮前で演ずる所がまた一段と忌まわしい限りの企みである。
 細川は薬害児として生まれ育ったために、身長低く骨細の方であったらしい。 武道の心得でもある身でなければ、相手が女性といえど自分に劣ることのない背丈の者相手に、宮本武蔵みたいに次々と勝ち続けられるはずがない。 これこそは簡単なる母親の確信であったらしい。

 みちのくは湯本と澤内が彼の住所であった。 しかし、本日はここまでとしたい。 以上で言い尽くしたような、冤罪晴らしの肝要の所がボヤケてしまうようでは徒となってしまいかねない。