最終判定細川氏疑惑及び本内西の家真実

1. 細川氏疑惑
 細川氏は武道横転術を教わっていた。
 テニス人口集金を果たしたかった。
 各地域、没後時期において応援/泥塗用意の替え玉までが横行するという不可解な特徴が伴う。
 そんなにやれってのな、じゃお一人御用歩きのあなたにこそやってやる、という心の決議があったことは明白である。
 職場においても取り巻いてる、取り巻いている、と母親が、我が子に彼等彼女等は何を働くのかと深い関心を抱いていたという。
 とうとう挨拶のあるインテリにまで成長した、と周囲では期待が高まっていた時期であったらしい。

2. 西の家真実
 本内部落唯一の土着日本人、一千年の藤原氏社家となっていた。
 匁で男を量るなら文句なしの「社長」実体である。 素朴。 ふしだらな性向無し。 
 横浜出張組でも、理科室政治課を格好悪いといって教室脱出、脱走まで遂げていたという。
 何で彼らは怠業して間合いばかり計っているのだ。 かっこう?  じゃあ、空手課黒帯二段預かりとする。 日本一の脚長男優でなければならない。 人数が少なかった。 義父団西の家女性は多数。
 千年の旧家であるから、昔からの子孫不可数と思われる。 三船氏は鹿児島の人であるが、西の家の特徴を歴然として受け継いでいる人のように思われる。

 1730年頃に上の家と永遠の離別を決心する。 女性殺人を軽蔑する余りの事であった。 死刑。
 上の家が何かを秘して、平安京スタート以来の相棒を裏切っている。 それが許せなかったのかもしれない。 お前に聞かせることでないというような、役人と何か通じ合っているような、自分一人を馬鹿にした態度。
 結局上の家は獄門にならず新たな家屋敷に与かる。 「冒険者」西の家はその年米ストックを失っていた。 犯人上の家を軽蔑して極刑を口にして憚らない西の家は、絶対に犯人にはなれなかった。 ポイントであるから聞いた事を記せば、ある隣村の家に上がり込み、飯強要に及んだという。 号泣していたという。 組織目撃メモによると、暁闇4時間も考えた末に腰を上げ、ついに鶏盗犯人たるべく立ち上がったという場面が報告されているという。

 以上は組織の企みであった。 ここで西の家の前に組織が立ち現われる。 給食するから、寝転んでいてくれないか。 何とクラシック名曲計画の根抵当物件となる、という内容の提案であったのであるが、その時の西の家ばかりでなく澤内通りの一人たりとも何の事か分かるわけがない。
 重い役割であった。 春夏秋冬寝ていなければならない。 作曲家も結構vivでそろえられている。 組織の趣味である。 
 西の家の近くに金賞常勝の来方高校がある。
 ベートーベン1827年まで、ちょうど百年間の人類史的挑戦事業であった。
 
 百年間も真面目に寝転んできたものと思われるが、この妙な提案に応ずるまでには上記の経緯が不可欠であった。 「飢餓人西の家を作る。」 腹を空かしたばかりに応じた事なのである。
 ビバルディ四季などと言われても、決して、素朴潔癖心の強い西の家の人は肯わなかったであろう。
 きっと「いい事だろう」と澤内村高峰氏までがこの計画に加わり西の家給食担当者となる。 道は遠かった。 「君のところへ行かなくちゃ」 組織は遠路有名を好む。

 江戸時代にビバルディに出会うまでは、まことに生真面目、温良、裏表のない西の家の春夏秋冬であったのである。

本日炎天下のサボテン花