2011-07-26から1日間の記事一覧

孫屋敷の隣家には巡り巡って、村田さん男顔の子孫の方がいて、初陣兵士一族の流れを引く上の家の精一を軽蔑し続けてきたのであった。

江戸時代初期の軍曹と兵士一兵卒との間柄が、ここで再現されているのである。 兵士子孫は女性の指段階の因果を担わせられて、見事に、男を相手とする骨のない者がこれ程にまでなって人の世にいたと思えようか、と戦慄すべきスクリーン像を演じさせられ続ける…

兵士子孫の共通した特徴。

持って生まれた整いある風姿。 規律正しさと品性廉潔たる清らかさ。 誰れしも認める自ずからなる個性のようである。 若き日のエリザベス・テーラーがブルーレット、クレンリネスと宿命的呼び名を残したというのも、素直な勘の働いた事であった。

その戦士のその後の戦歴が伝えられている。

今度は男と男との真剣勝負の武勇談であったという。 初陣においては気が急いた状態のままに、功を焦ってしまったのであろうか。 コンタックのコマーシャルは、あの時は相手は連戦疲れで風邪を引いていたぞ、とからかう治朗雰囲気を表したものだという。 もは…

精一先祖一族からも参戦者がいたようである。

その時の上司が、国分氏即ち村田さん親分顔一族の者であったらしい。 戦地での情報はすべて軍曹たる国分氏の言に基づくものと思われる。 朝駆け首二つの特級功績によって、一族の遅れ挽回が叶うと思い捷径的行動にでも出たのであろうか。 印の首の代わりに持…

ところが日本最南端の薩摩には、江戸幕府が関知しない戦争のいくつかがあって、剣を揮ってお殿様にお仕えする何回かのチャンスが控えていたのである。

戦争を経験していた。 大急ぎで行われた藩内安定への分かれ目の戦争であったようだ。

杉田の治朗氏等は渡来人城下士団を19歳呼ばわりしていたという。

「戦争を知らない子供達だ」 分かるか、島津の戦歴の日本一の勇猛苛烈さを。

どういう訳か、その真実の明日を萩原氏に委ねられていたという。

上の家の精一は遂に島津藩城下士の子孫であった。