じゃがいもを食う人の犯すべからざる権限


司馬遼太郎先生の言葉の最も尊いものとして記憶しているものに、ゴッホのじゃがいもを食う人々、を見ての感想がある。
そのじゃがいもを食べようとして差し出されている農民の手の表現に、荘厳を感じる、と書かれている。
荘、とは薄などの旺盛な草群の中に掻き分けるべく身を置いた時に感じる、恐ろしい丈の高さであり、厳、とは寄せ付けないという大岩の三つ程のけんもほろろさである。
金持ちや位のある人がどんなに貧しさを嘲ようと、農民は文句なしに自分の手で作ったじゃがいもを、根本的な権限を持って、自分の手に握って食べているのである。
その権限こそ、唯一不易のものであり、いろいろな権限の源である。