田村麻呂の先祖は後漢霊帝だというのであるが、その流れが鮮明になってきたようである。

 「続紀」 は日本書紀に比べ、内外資料を博捜するノウハウのようなものがあって、ずっと信頼できる内容になっていると言われている。 そこに記されている如くに事情が整理されてくるようである。 随従七姓と呼ばれている連れ立ち集団の苗字名も明らかとされている。 世代数は皇帝の名前から簡単に点検可能である。 伝では、霊帝の次最後の皇帝献帝の子白秋王の子阿智の臣が日本に渡ったことになっている。 短く名前もはっきりとした系図である。
 崇峻天皇暗殺の駒は掬三兄弟長子の山木曾孫に当たり、坂上は次子志努の子孫であり、大蔵は三子爾波伎の子孫となっているようである。