ところで上の家の父親と母親は人間の条件をパスするか。

 この問題に天皇家が大きな関心を抱かれたようであった。
 戸籍記載問題もあるが、大いにパスであった。 父親母親両人共、実際は、鹿児島から本当の戸籍を持っ来ていてもよかったのである。 白昼鹿児島人として何のペテンもなく上がって来た例であった。
 ところが両人とも何と警察の捜査調書記録を残してきている。 物取りにもならない事件ではあった。
 父親精一のルーツについて今頃ようやく定まった報告を受け取ることができた。
 城下士として屋敷を並べていたそうである。 最初の出兵時には、「そうじゅくできなかった」 為、羽織正装組に伍していなかった様子である。 怪しんで二の足を踏んでいたような気配である。 「うかうかと乗れない」 ということでなかったのか。
 脱臼してから上がって来た名横綱みたいなものである。
 とにかく後には孫屋敷で並んでいるように、顔のいい村田さんと隣同士で暮らしていたらしい。 
 上記初回の戦列においては不正直の疑いが掛かって部隊から外され、穴があったら入りたい、と溝の中に入って身を縮めていたことがあったらしい。 これがドブ落ち因縁の始まりであろう。 村田氏にすれば、和士だろうが何だろうがここまで来てちゃんと纏わないのも気に食わないし、戦いだというと今度はのこのこと出て来てスーツに与かろうとする、しかも相手不足なような事を言うから、気に入らなくてしようがなかったのであろう。 (江戸時代初期の事などほとんど記録に残っていないものなのであるが、なかなか記憶が細く長く伝えられていたものである。)
 因縁は繰り返すもので、その隣家の主婦であったキミさんも、上の家の弟の事を、ドブに落としてから吸い上げるのかと組織スタッフに問い質すことがあったようである。