運動の目的は選民を登場させ歴史を作ることにある。

   源氏子孫の伝えもある狛乗寺の住職。 いわゆる下の家の先祖に繋がる人とはどういう顔の人であろうかと捜し求めた写真である。 ゴールドの(藤原氏金の道以来の大旧)家が組織に掴まってなんなんとせむ時に、私は社の前に立って立ち坊をする、と鈴を手にし誦経を勤めたというのは何代か前の住職である。 「誰が為に鐘は鳴るのだ」 墜落する運命をこのお坊さんが予知していたとは思えなかったのであろう。 松下、中村、藤田、井上、司馬、橋他の息の長い日本の先輩達と写真は一脈通じていると見てとれるだろうか。 紋次郎が刀をどのように構えるかという時に、立ち棒のように、と提案があり、棒を立てるような構えが採用されたのだという。 
 右は加藤家からの婿養子であるが、実は左の弟の二男。 伯乗寺から消えてしまった太田氏の血筋は、この加藤家に受け継がれ相続されていたのである。 やや加藤氏そのものの特徴が覗われるが、軍隊手帳に残されている人相は、眼大にして円、顔長大、鼻鈍隆、髪濃厚、額広大、口大、眉濃長。